日本三名園日本の三大

日本三大○○(日本の3大について)

日本三大○○(日本の3大について)


 
「三種の神器」「日本三景」「御三家」と、日本人は、何でも「三」でくくってしまう歴史と文化をもっている。
「三大祭り」「三名山」「三大美人の湯」「三大仇討ち」「吉原遊廓3ステップ」「三大体位」「プロ野救・三大プレイヤー」「三大ラーメン」「3B女」「銀座のホステスの3Y」…
果ては三大ランキングで全国めぐりと、すべての「三」を網羅。これであなたも「三」のトリコに。井上ひさし氏激賞の書。

日本三名園

  兼六園 後楽園 偕楽園
写真 kenroku.jpg kouraku.jpg kairaku.jpg
所在地 金沢市丸の内1−1 岡山市後楽園1-5 水戸市常磐町1−3−3
公式WEB 兼六園ホームページ OKAYAMA KORAKUEN Official Site 偕楽園
概要 江戸時代、加賀藩の庭園として造られたことに端を発する。延宝4年(1676年)に五代藩主前田綱紀が「蓮池亭(れんちてい)」を造り、その庭を「蓮池庭(れんちてい)」と呼んだのが始まりとされている。これは、蓮池門(れんちもん)を入った辺りであり、現在7つある門の中で、正門とされている。当時は、金沢城の外郭として城に属していた。 岡山藩主池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて作らせた。 岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。林泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。 江戸時代は延養亭を茶屋屋敷、園を後園と呼んでいた。明治4年(1871年)、これを後楽園と改めた。 偕楽園(かいらくえん)は茨城県水戸市にある日本庭園
1999年7月隣接する千波公園などとあわせて名称を偕楽園公園と統一し、市街地隣接公園としては面積は合計300ヘクタールとニューヨーク市のセントラルパークに次いで世界第2位の広さを誇る。
見所施設 雪吊
徽軫灯籠/ことじとうろう
噴水
成巽閣
兼六園広坂休憩館
岡山城
延養亭
能舞台・栄唱の間
慈眼堂
廉池軒
茶祖堂
好文亭

吐玉泉
正岡子規の句碑
周辺地図 ■兼六園

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■後楽園

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■偕楽園

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日本三名園

日本三名園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本三名園(にほんさんめいえん)とは、優れた景勝を持つ三つの日本庭園、金沢市の兼六園、岡山市の後楽園、水戸市の偕楽園の総称である。

三園ともに江戸時代の大名庭園であり、それゆえいずれも戦略的な性格をも有していたとされる。「日本三名園」もしくは「三名園」という言葉がいつ頃から使われ始めたのかは不明であるが、少なくとも、一般に開放された明治以降と考えられる。文献上では明治37年(1904年)に外国人向けに発行された写真集にこの言葉が使われているので、これ以前であることは間違いないといえよう。なおこの三園の選定理由として、いわゆる雪月花の雪に兼六園、月に後楽園、花に偕楽園を対応させたものであろうとする説がある。

ただし、いずれもが江戸時代に築かれた池泉回遊式の広大な大名庭園であるが、この「日本三名園」には日本庭園におけるもう一つの有力形式である枯山水など、池泉回遊式以外の形式のものは含まれていない。すなわち、すべての形式の日本庭園を考慮したものとはいえないことにも注意が必要である。