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日本三景
| 松島 | 天橋立 | 宮島 | |
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| 所在地 | 宮城県宮城郡松島町 | 京都府宮津市 | 広島県廿日市市 |
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| 名所 | 四大観 風雅の地「松島」 双観山 西行戻しの松公園 新富山 治祐ヶ森 瑞巌寺 五大堂 円通院 観瀾亭 天麟院 陽徳院 軒端の梅・三聖堂・比翼塚 いぶきびゃくしん 臥龍梅 |
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日本三景
日本三景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本三景日本三景(にほんさんけい)とは、宮城県宮城郡松島町の松島、京都府宮津市の天橋立、広島県廿日市市の厳島(宮島)の3つの名勝地のことである。
儒学者・林春斎が著書『日本国事跡考』に、「丹後天橋立、陸奥松島、安芸厳島、三処を奇観と為す」と書いたのが始まりと言われている。この言葉は各名勝地の記念碑に記されているが、それぞれ紹介する順序が違っており、天橋立では原典通りの「天橋立、松島、厳島」、松島では東から「松島、天橋立、厳島」、厳島では西から「厳島、天橋立、松島」の順となっている。2006年7月、天橋立、松島、宮島の日本三景観光協議会では、林春斎の誕生日の7月21日を日本三景の日と制定した。
■松島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松島
松島(まつしま)とは、宮城県の松島湾内外にある大小260余りの諸島のこと(特定の一つの島を指しているわけではない)。または、それら諸島と湾周囲を囲む松島丘陵も含めた修景地区のこと。日本三景の1つに数えられている。松島湾内には、遊覧船が就航しており、船上より島々を眺めることができる。
地形・自然
松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来た沈降地形である。溺れ谷に海水が入り込み、山頂が島として残っている。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10m以浅である。
この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩などで出来ており、波に洗われる部分はやや容易に侵食され、白から灰白色の岩肌を見せている。特に小島では、松が生えている島の頂部よりも、海水面近くが波に洗われてえぐれており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や「嵯峨渓」のような海蝕崖も見られる。
このように侵食・風化作用を受け易い地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の松島と、現在のそれとは微妙な違いがあると考えられている。五大堂が設置されている島も海水面近くが侵食されており、将来が危ぶまれている。
松島湾
松島湾(広義)は、宮城県の太平洋沿岸部に大きくある仙台湾(広義)を3つの支湾に分けた内の1つ、仙台湾(狭義)・松島湾(広義)・石巻湾の真ん中にある。他の2つは砂浜海岸が主であるのに対し、松島湾(広義)は磯を主としているが、小規模な砂浜海岸も点在している。
松島湾(広義)は、北側の松島湾(狭義)と南側の塩竈湾(千賀ノ浦)に分類される。
松島湾(狭義)は、暗礁が多くあるため、外来者にとっては航行が困難な海域である。そのため、江戸時代には伊達政宗によって暗に「軍港」と見なされ、瑞巌寺を始めとした伊達家直轄施設が暗に軍事施設として多く建設された。松尾芭蕉が、松島を始めとして仙台藩の城・要害・関所などの主要軍事施設を回っていることから、隠密説・スパイ説がある。なお、現在それらの施設は観光資源となり、湾内も観光地となっている。
南側の塩竈湾は、古くは多賀城の外港として、江戸時代以降は城下町・仙台の外港として機能し、戦後は仙台塩釜港の塩釜港区として機能してきた。現在は仙台港区に物流の中心が移動したため、塩釜港区は近海マグロを主とする漁港として機能している。なお、港に近接する山の上に鹽竈神社があるが、この神社は多賀城、奥州藤原氏、伊達氏など、この地を治めた統治者によって保護されており、信仰と並んで軍事施設(山城)としての機能も有していた。
生物
湾内の主な魚類はハゼ・アナゴ、貝類はカキ・アサリ。
石斛(せっこく): 野生ラン科植物で宮城県辺りが野生の北限といわれる。松島周辺では「イワタケ」の別名がある。花の開花時期は5月下旬から6月初旬で、ピンクの花が咲く。絶滅危惧種だったが、瑞巌寺境内の老杉の枝に着生している原株から増やして、現在は鉢植えの土産になっている。
貝塚
里浜貝塚 : 松島湾内最大の島・宮戸島にある貝塚で、縄文時代前期(約6000年前)から弥生時代初めまでの約4000年間の遺跡。地球的な温暖化による縄文海進のために、現在よりも海水面が高かったと考えられ、貝塚は島の標高20-40mの高台に存在して海岸線から離れている。
大木囲貝塚 : 塩竈湾に面する七ヶ浜町にある貝塚。
逸話
松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、「松島やああ松島や松島や」と詠んだという逸話があるが、この川柳は後世の狂歌師田原坊の作で、芭蕉の作ではないとされる。ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしく、『奥の細道』には、同行した弟子の河合曾良の句「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」が掲載されている。また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。
アインシュタインが訪れた際に「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」と同行者に言ったとされる。
観光
観光地
観光地としての拠点は、南から「塩竈」「松島」「奥松島」の3ヶ所に分かれている。
「松島」は、宮城県宮城郡松島町のJR松島海岸駅周囲、および、松島湾(狭義)のことで、伊達政宗が再興した瑞巌寺(国宝)や五大堂などの寺院、豊臣秀吉の伏見桃山城にあった茶室を伊達家が移設した観瀾亭(月見御殿)などの歴史的建造物、および湾内観光船の発着港がある。また、土産屋・飲食店・観光旅館・ホテル・松島水族館などが立ち並ぶ松島観光の中心地である。
「塩竈」(しおがま)は、塩竈市のJR本塩釜駅周囲、および塩竈湾のことで、鹽竈神社および湾内観光船の発着港があり、寿司屋の集中地区である。なお、鹽竈・塩竈・塩釜はすべて「しおがま」と読む。
「奥松島」は、仙台側から見て、「松島」のさらに先にあることからそう呼ばれる。松島湾の北東部一帯を指し、日本三大渓の嵯峨渓への観光船発着港の他、近年では松島を眺める高級旅館が立地し始めた。「奥松島」の範囲は松島湾の外側にも広がっており、石巻湾側の野蒜海岸も含まれる。なお、竹浜という鳴き砂の浜辺もあるが、保全のため立ち入り制限されている。
その他、湾内の有人島にも渡ることが出来、数々のレジャーが楽しめる。
展望台
周囲の松島丘陵や島の高台には、「松島四大観」(まつしましだいかん)と呼ばれる修景ポイントが散在している。江戸時代に舟山万年により命名された。松島四大観に限らず、高度経済成長以降の観光ブームの時にアクセス道路・駐車場・展望台等が整備されてやや荒廃が進んだところもある。その反省から、近年は松島の風景を守る方が優先され、眺めを優先して木々を切らなくなり、観光客にはやや不満な場所もある。
松島四大観
「壮観」:「奥松島」にある宮戸島の小山の大高森 からみる景色(東松島市)。車でのアクセス可。松島湾の東端から西方向を眺める形となり、奥松島の島々の他、遠く船形連峰(奥羽山脈)が一望出来る。夕刻に真っ赤に染まった松島の風景写真として度々用いられる。
「麗観」:「松島」と「奥松島」の間にある富山 山頂の大仰寺よりみる景色(松島町)。南方向に松島湾や奥松島を眺める。
「幽観」:「塩竈」と「松島」の間にある扇谷 からみる景色(松島町と利府町の境界部)。東南方向に塩竈湾を眺める。
「偉観」:「塩竈」の東にある代ヶ崎の多聞山 からみる景色(七ヶ浜町)。北方向に塩竈湾、さらに奥の松島湾・奥松島を眺める。
他の展望台など
「西行戻しの松」
「双観山」:塩竈と松島海岸一帯が望める。
町道「松島パノラマライン」
各ホテルの展望室
なお、松島タワーは現在解体されて存在しない。
■天橋立
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天橋立(あまのはしだて)は、京都府宮津市の宮津湾にある景勝地である。
天橋立は、約7,000本の松林が続く長さ3.3kmの砂州(大橋立、小橋立の2つに分かれる)、およびそれを展望する傘松公園の総称である。砂州は宮津湾を二分し、内海を阿蘇海(あそかい)という。
天橋立夜逆さに見ると天に架かる橋のように見えることからこの名がついた。北側の傘松公園から「股のぞき」で見るのが名称の由来でもあり、伝統的に美しいとされている(この傘松公園からの眺望は、「斜め一文字」とも呼ばれる)。
南側からの眺め(及びその展望台)である「飛龍観」(ひりゅうかん。龍が天に登る姿に見えることから)も人気が高く、北側と観光客を二分するほどになっている。その他にも展望台があり、東側からの眺めを「雪舟観」(せっしゅうかん。左に掲げた雪舟筆「天橋立図」が描かれたことから)、西からの眺めを「一字観」(いちじかん。「一」の字に見えることから)という。
百人一首の小式部内侍の歌に見られるように古代から名所として知られている。丹後国風土記には、イザナギが天に昇るためのはしごが、イザナギが寝ている間に倒れて天橋立になったとの記述がある。江戸時代から宮城の松島、広島の宮島とともに日本三景の一つとされた。1952年(昭和27年)11月22日に国の特別名勝に指定され、また日本の白砂青松100選にも指定されている。
■宮島
厳島
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広島県、厳島と周辺地域
厳島神社
夜の厳島神社鳥居厳島(いつくしま)は瀬戸内海広島湾南西部の島。通称は宮島。広島県廿日市市に属する。2005 年の合併までは、島全体が佐伯郡宮島町と一致していた。日本三景のひとつ、いわゆる「安芸の宮島」であり、大鳥居と海上に浮かぶ社殿で有名な厳島神社は世界遺産にも選ばれた。「厳島」としては、1952年(昭和27年)に国の文化財として特別史跡及び特別名勝に指定された。弥山の原始林は国の天然記念物にもなっている。また、1934年(昭和9年)より周辺海域(瀬戸内海)を含め島嶼全域が瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。
歴史
厳島神社は、推古元年(593年)厳島に住む豪族佐伯鞍職により創建されたと伝えられるが、現在の威容を構築したのは、平氏一門の後ろ盾を得た平安時代末期である。
戦国時代末期、毛利元就が陶晴賢を打ち破り、中国地方の覇者となる一歩を踏み出した厳島の戦いの舞台。元就は、神の島を戦場にしたことを恥じ、その後はこの島の自然の保護者となった。
自然
秋はモミジの紅葉が美しい。ロープウェイで紅葉谷を見下ろしながら標高535mの弥山(みせん)の頂上まで上ることもできる。厳島は神の島として木材の伐採が禁じられていたため、ほぼ自然状態の森林で覆われている。植生はアカマツが主体である。ただし,モミのようにこのあたりには通常生育していない木も生えており、この点謎とされている。(補足.このあたりという表現は適切でない.モミは一般に中間温帯を構成する樹種であり,広島県に分布する.一般に,低海抜地域には見られないというのが正確.)
島には多くのシカやサルがいる。サルについては江戸時代までの記録がない。どうやら近代に入って小豆島のニホンザルを人為的に移入したものらしい(確実に移入したものである)。これに対し、シカには近代以前からの記録が残っており、厳島神社の神使とされている。
干潮の砂浜には多くのヤドカリが見られる。
近年、厳島神社の社殿・大鳥居付近で海藻であるアオサが繁茂している。景観を損ない、また腐って悪臭を放つので、宮島観光協会と宮島町役場、地元自治会がボランティア活動を主催し、年数回清掃活動を行っている。繁茂の原因は明らかではないが、水質の悪化と水温の上昇にあるのではないかといわれている。(補足.広島湾は高度成長期に比べれば,水質はむしろ大幅に改善している.きれいになりすぎたことで,カキの養殖などに影響が出ている.宮島の他の地域ではアオサがとくに増えている徴候は観察されず,むしろ減少している場所もある.このためアオサについては,周縁海域の埋め立てによる海流の変化がかなり影響していると考えられる.)
また、シカが大繁殖(適正生息頭数は100頭とされる(そのような科学的なデータはない.また,最盛期には1600頭程度との記録あり.)が、現在島内には600頭が居るものと推測される)し、エサが不足して観光客の弁当や食料品、挙げ句の果ては観光パンフレットや、(土産物屋などで出す際の)紙幣や紙袋など、紙類を狙って食べるなどの被害があり、注意を要する。(とくに増えたという事実はないとのこと。繁殖よりも,むしろ餌をやるなどの影響で,局所的に過剰な個体数が集まることの影響と考えられる.野生動物に餌をやらないという当たり前のマナーを守ることで改善されると考えられる.)観光協会がシカの角を切っているが,山に入ると角のあるシカに出会うこともある.
弥山の標高
厳島の最高峰「弥山(みせん)」の標高値は,国土地理院の1/2.5万の地形図を見ると520.8 mと表記されてきた.これは明治25年設置の二等三角点の高さであるが,三角点より南南西方向約16.8mの地点が535 mであることが確認された.(国土地理院,平成17年10月6日14:00発表)
文化・施設・観光
観光地として有名だが、島内には民家も存在し、小学校と中学校もある。また島内には信号が1箇所も無い。
毎年8月14日には宮島水中花火大会が行われ、県内外から多くの見物客が訪れる。
島内には厳島神社以外にも大聖院をはじめ多くの仏閣がある。また、厳島神社宝物館、宮島水族館、宮島歴史民俗資料館、広島大学大学院理学研究科附属自然植物実験所、宮島町伝統産業会館などの文化施設がある。
宮島に関する情報が掲載され、宮島検定試験の公式参考書も兼ねる「宮島本」が廿日市商工会議所より発売されている。
廿日市商工会議所により、2007年1月に、初の「宮島検定」が行われる。検定では、宮島の歴史や文化、自然に関する知識を答う問題が出題される。合格者には認定カードが発行される。



