日本三大和牛日本の三大

日本三大○○(日本の3大について)

日本三大○○(日本の3大について)


 
「三種の神器」「日本三景」「御三家」と、日本人は、何でも「三」でくくってしまう歴史と文化をもっている。
「三大祭り」「三名山」「三大美人の湯」「三大仇討ち」「吉原遊廓3ステップ」「三大体位」「プロ野救・三大プレイヤー」「三大ラーメン」「3B女」「銀座のホステスの3Y」…
果ては三大ランキングで全国めぐりと、すべての「三」を網羅。これであなたも「三」のトリコに。井上ひさし氏激賞の書。

日本三大和牛

  松坂牛 神戸牛 米沢牛
写真
地域 三重県 兵庫県 山形県
通販
WEB
松阪牛の長太屋 神戸牛 旭屋 米沢牛登起波
歴史 軒先に牛の鳴き声が聞こえる。昭和30年代までの農村にはよく見られた光景でした。そのころ、農家は牛を農耕用(役牛)として利用し、家族同様にかわいがり、大切に飼育していました。松阪地方では、古来より役牛として優秀な但馬(兵庫県)生まれで、紀州(和歌山県)で1年を過ごした雌牛を好んで購入したといわれています。牛は農耕用として3、4年が過ぎると次第に太り、「太牛」と呼ばれる立派なものに仕上がって、日露戦争のころには上質の肉牛として売り出されていました。その後、農家や関係者の努力により、松阪地方の牛は次第に名を高め、昭和10年、東京芝浦市場で開かれた「全国肉用牛畜産博覧会」で最高の名誉を獲得し、全国に最高級肉牛「松阪牛」として名声を広めたといわれています。 現在の神戸牛は在来種の日本牛と大正時代にイギリスから輸入されたブラックアンガス種などとの掛合わせて作られた黒毛和種であり、その後改良を重ね、今の霜降りと言われる極上のマーブル状に脂肪の走った独特の神戸牛が出来上がった。子牛は但馬産に限られ、また増育された牛肉の決められた等級以上のものを指す。それ以外は但馬牛として流通されている。


 
食用牛としての米沢牛の名が全国的に知られるようになったのは、文明開化まもない明治4年に米沢藩の藩校米沢興譲館の外国語教師として米沢に招かれた英国人貿易商、チャールズ・ヘンリー・ダラスが、明治8年に任期を終え、英国人の居留地である横浜に土産として一頭の米沢牛を持ち帰り、仲間に振る舞ったところ、「これはおいしい!」とその美味に驚嘆され、賛美されたのがきっかけと言われています。その「うまさ」は飼育に好適な気候、土壌、水、それに優れた飼育技術に加え、生産農家が自分の家族同様に愛情をこめて育てる心が秘訣です。西の松坂牛、東の米沢牛と言われるほどで、市場では常に最高値で取り引きされています。
内容 全国から優秀な血統の子牛を導入し、松阪牛個体識別管理システムの対象地域で肥育された、未経産の黒毛和種の雌牛を『松阪牛』と呼んでいます。その中でも典型的な松阪牛は但馬地方(兵庫県)より、生後7ヶ月〜8ヶ月ほどの選び抜いた子牛を導入し、約3年間、農家の手で1頭1頭手塩にかけ、稲わら、大麦、ふすま、大豆粕などを中心に与えながら肥育されます。特に、牛の食欲増進のために与えるビールや焼酎でのマッサージは有名です。
神戸牛(こうべぎゅう)は、兵庫県神戸市辺りで飼育される黒毛和牛。神戸ビーフとも呼ばれる。世界的に有名。明治4年から神戸の港に入ってくる外国船員から日本で食肉習慣が始まったと言われる。 なお、正しくは神戸肉(こうべにく)、神戸ビーフ(こうべびーふ)といい、神戸牛は俗称である。
米沢は、夏暑く冬寒いという非常に四季のはっきりした気候の地方です。この気候が米沢牛に与える影響は大きい。
 米沢市は山形県の最南端の地に位置し、県の中央を流れる一級河川最上川の源流にあたります。ミネラルを多く含んだ水が豊富で、ミネラルは肉の味を良くする働きがあるらしいです。
 生後10ヶ月ぐらいまでは母牛の近くにいて、その後飼育生産者の手に渡ります。
 代表的な和牛の但馬系の黒毛和種が主流です。